中間面談レポート:内田聖良

メディア芸術クリエイター育成支援事業では、企画が採択されたクリエイターに対して制作費の支援をするだけでなく、その企画に対する質的な向上の支援を目指して、アドバイザーとのディスカッションを盛り込んだ面談を実施しています。11月29日(木)に中間面談が実施され、作品のコンセプトや、制作の上での技術的な課題、完成時の発表方法やその後のプランに至るまで、様々な視点から議論が交わされました。今年度採択された6組のクリエイターと、それぞれの担当となったアドバイザーとのやりとりの様子をレポートしてお伝えします。

 
 
第2回目は内田聖良さんです。
 
ネットアート作品『余白書店』が第18回文化庁メディア芸術祭アート部門審査委員会推薦作品に選出されるなど、今あるものに新たな可能性を見出し続ける内田聖良さん。今回採択された企画『ちいさいまよい家(が)/ちいさいまよい家(が)のために』(仮)は、「店」という形式をとりながら、ポスト・インターネット時代の身体から生まれる「民話」的フィクションをつくる試みです。
内田さんのアドバイザーを担当するのは、アーティスト/多摩美術大学教授の久保田晃弘氏と、ソニー株式会社コーポレートテクノロジー戦略部門テクノロジーアライアンス部コンテンツ開発課統括課長の戸村朝子氏です。

 

 
 

記憶を想起させるイメージをつくり出す

 
内田聖良(以下、内田): 前回の面談からこれまでに、おもに2つのことに取り組みました。1つはパフォーマンスの実験、もう1つはフィールドワークです。
パフォーマンスの実験のために、記憶術と民話に関する本を読みました。特に記憶術の古典『ヘレンニウスへ:記憶術の原典』(キケロ著、貴重資料研究会訳)では、印刷物がない時代に良い演説をするには記憶を鍛えたほうがいいが、どうすればよいかといったことが主題となっており、記憶のためには記憶を呼び起こす「イメージ」とその「イメージ」を配置する「場」の重要性が書かれていました。また民話も「昔話」「伝説」「神話」という種類やそれに応じた技法もあることがわかりました。パフォーマンスの実験は2〜3回行いましたので、簡単に紹介させていただきます。
 
─パフォーマンスの実験の写真を見ながら説明が進みます。
 
内田: パフォーマンスは2名に協力してもらっています。それぞれ直接だと話しづらい記憶を選び、最初に記憶術の方法にならって、「イメージ」と「場」を設定して中古品を使った即興的なオブジェを作り、写真を撮ります。次に昔話の「感情の起伏や内面を、贈り物や別の人物として表現する」という技法にならって、その中古品をタイムライン上に配置して話を作ります。こうした方法で、中古品を使って、事実の提示とは異なる形でのパフォーマンス表現について実験しています。

戸村朝子(以下、戸村): (写真を見ながら)パフォーマー2人のうちの1人は、なぜ白い布を被っているのですか。

内田: これは、もともとは脱毛サロンの話です。まぶしいくらいの建物の白さ、完璧な営業スマイルを思い出すため、白い布を被り表情を隠した人物を配置したイメージにしました。紐が絡んだぐちゃぐちゃのオブジェは毛と悩みを思い出すためのイメージです。「場」としては、新宿駅西口のファストフード店のカウンターを設定しました。

戸村: 記憶を読み覚ますインデックスのような感じですね?

内田: はい。また別の話で、ガムテープの上に黄色い紐が置いてある写真ですが、これは私の母校である小学校の正門を入ってすぐの広場を「場」に設定しました。最近の私と家族とのやり取りについての記憶をもとにしています。

─ガムテープと黄色い紐、そして小学校を素材に即興の物語をつくり、パフォーマンスを行った音声を流します。

内田: こうして、それぞれ即興で5分くらいの物語をつくりました。実験を行う中でわかったことなのですが、昔話の法則のなかに「登場人物には、具体的な人物を想像させない名前を用いる」とあり、最初、パフォーマーが作った話の中には、登場人物を「鬼」や「◯◯太郎」など置き換えるパターンが多く使われ、表面的にすごく昔話らしくなるのですが、それだとただ場面を置き換えただけで抽象化とは異なると思いました。そのため、「自分が見たこと無いもの、日常生活で馴染みのないものは使わない」というルールを追加しました。今後もこのような実験を重ねて、現代の日常生活で生まれる感情を、見慣れた道具を使って物語化する方法論を確立していきたいと思っています。以上がパフォーマンスの進捗です。

 
 

 
 

福島県内の国道6号線沿いのフィールドワークで

 
内田: 次にフィールドワークですが、福島県のいわき市から双葉郡浪江町まで北上し、その地域にある図書館で民話や郷土史のコーナーを見たり、国道6号線沿いの双葉郡の各施設や町並みを見て回ったり、帰還困難区域にご実家があった方に話を聞いたりしました。まだ立ち入れない場所や立ち入りが解除された地域の情報もいただきました。かつて原発事故収束のために作業員の拠点となり、2018年に再オープンした「Jヴィレッジ」(福島県双葉郡楢葉町にあるサッカーのナショナルトレーニングセンター)は、震災直後の様子がわからないくらい、きれいな新しい建物になっていました。そういう場所もあれば、2017年に帰還困難区域を除く地域で避難指示が解除された浪江町では、まだ生活を営む方は少ない様子で、住宅や病院の解体作業の真っ最中でした。そんな中、浪江町の復興を目指して開店したばかりのカフェに立ち寄ったりもしました。

─福島でのフィールドワークを、写真を見せながら説明します。

内田: いわき市から浪江町までは6号線で移動することはできるのですが、その間にある帰還困難区域を走る間は止まったり車から降りたりできません。その区間は、両側がフェンスで遮られていて、まだ解体作業もできないため、屋根が落ちたままのチェーン店の建物があったり、タイムカプセルのようでした。四倉町や富岡町では防潮堤が建設中でしたが、町の内側から見ると海が全く見えない。海が本当にあるのかな、と思うくらいの高さでした。

久保田晃弘(以下、久保田): 何だか隔離壁のようですね。

内田: 四倉町〜浪江町で立ち寄ったほとんどの場所にモニタリングポストやリアルタイム線量計がありました。たとえば、取材時、Jヴィレッジでは0.128マイクロシーベルト毎時でした。歯科治療時に撮影されるデンタルX線1枚で受ける被ばく線量が、0.01ミリシーベルト程度の放射線の量と言われています(開沼博 編 『福島第一原発廃炉図鑑』 2016年、太田出版、154頁)。ミリは1000分の1単位、マイクロは100万分の1単位になりますので、ミリに直すと、0.000128ミリシーベルト毎時ということになるでしょうか。2018年にオープンした双葉郡全体の情報発信スペース「ふたばいんふぉ」にも訪れ、双葉郡の現状についての説明を受けました。また、帰還困難区域に実家がある方から避難の時の様子や、現在の心境、実家の様子など、お話を聞きました。同じ双葉郡といってもかなり広く、今回訪れられなかった場所や、時間をかけて見ることができなかった場所も多かったので、フィールドワークは続けていきたいと思います。

戸村: フィールドワークで得られた情報をどのように紡いでパフォーマンスにしていくのでしょうか。

内田: フィールドワークで手に入れた物をイメージのなかに取り入れたいと思っています。物語の一部に使ったり、インスタレーションの素材としていく予定です。人の感情を代わりに語ることはできませんし、してはいけないと思うので、、被災経験のない自分や他者が感情移入できるよう、物語は抽象化させたいと思っています。
 
 

 
 

世界の問題を、ごにょごにょ言い続ける

 
戸村: 抽象化は大事ですね。物語は受け取るのに、ある程度の時間もかかりますので、オブジェクトをどんと置くのとは異なります。物語を提示することで受け手に何を感じてほしいのかが見えてくると、この大量のインプットのなかで何をすれば良いかが見えてくるのではないでしょうか。

内田: 今回の企画には、言えなかった思いが物として家に残っているのではないか、という動機がありました。ネガティブな話は文字や口にしてしまうと、否定されることもある。だから気づかぬうちに積もる感情もあるかもしれない。うまく言えないけれど「なんかつらいな」「なんか嫌だったな」とか。そうした些細な感情を共有することが大事なんじゃないかと思っています。

戸村: 現代では文字や映像などの情報は簡単にコピーでき、伝達しやすくなったかもしれませんが、そのぶん落ちてしまうこともたくさんありますよね。内田さんは、そうした落ちてしまった「何か」の重要性を照らそうとしているんだなと思いました。それをどのように伝えていくのか気になります。

久保田: ただ、あえて言うと、決して伝わりやすくしてはいけないと思います。わかりやすく整理して、それをひとつの「世界観」という枠のなかだけで語ることは楽ですが、それでは「世界」に目を向けていることにはなりません。わかりやすくしたら福島の問題はそれで終わってしまいます。
今のように、内田さんはごにょごにょと言い続けて、ぐちゃぐちゃのままにしておいたほうが良いと思います。福島に行ったけれど結局何もわからなかったので、ただ写真を撮ってきました、くらいでも、それが真摯に向き合った結果の正直な感覚であれば良いのではないかと思います。決して、何かがあったふりをしてはいけない。内田さんが何かを言うことで、福島に住む人たちの状況が良くなったり放射線の量が減ったりするわけではありません。役に立つ、という機能を持とうとしないからこそ重要なんです。当事者以外の一般の市民が、忘却したり、無視したりしないこと。それが、美術として、個人として、まずできることだと思います。

内田: 私も初めは東日本大震災を取り上げようとは思っていませんでした。被災の当事者ではないですし、中途半端に関わるべきではないと考えていました。ですが、たまたま帰還困難区域出身の方の中にも様々な理由で家の整理を自らするのが難しい方がいると話をきき、そうした家の中の問題として考えることで、今まで関わってこなかった被災地の問題を、自分自身の問題として考えられるかもしれないと思いました。

久保田: 被災地で話を聞くのはエネルギーがいることでしょう。ですが、それにもかかわらず自分を駆り立てる何ものかがあるうちは、対象に対して正直でい続けられると思います。インターネットショッピングの商品レビューでも、その商品が売れるために、つまり機能的に書き込もうとしていないものに、何かはっとさせられるものがあったりするのと同じです。

 
─次回の最終面談では、成果プレゼンテーションに向けての進捗を発表する予定です。

 

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